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2008年10月

朝日新聞の定期購読を止めます

 朝日新聞は、父親の代から継続購読していた。

 しかし、いくつかの理由で止めることにした。

 〔1〕林家正蔵の脱税事件で、正蔵のコラムを中止しなかったこと。

   今も、木曜日の夕刊に、コラムを継続中。

   (『正蔵のTOKYO歳時記』)。

 〔2〕バーニング・ケイダッシュ系列のタレントが目立つこと。

   ドン小西や押切もえをそこまで取り上げるとは…

 〔3〕学校教育で、「よくできました」という評価の延長上の記事が、目立つこと。

   これは、気になりだすと、止まらないもので、産業上の視点とかが欠落している。

  今日は、新聞週間です。

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『宮廷画家ゴヤは見た』(2)

 前回の補足です。

 ゴヤの「着衣のマハ」「裸のマハ」を観たのは、国立西洋美術館で、1971.11.16ー1972.01.23 のことです。「馬鈴薯を喰う老人たち(?)」を最初に見て、ショックを受けたのを覚えています。この絵は、今回の映画には出なかったはず。

 1972年には、『情熱の生涯 ゴヤ』が劇場公開されています。これが、いつテレビで放映されたかは、分かりません。ゴヤ役は、ドナタス・バニオニスです。

 いずれも、ゴヤ役は、ゴヤの自画像に似ている人が選ばれている。欧米の常識でしょう?

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『宮廷画家ゴヤは見た』

 ゴヤの絵画は好きである。たまらず、映画を観に行ってしまった。久しぶりの映画である。

 ゴヤを扱う映画をひも解くキーワードは「絵」「技術的背景」「歴史」の3つである。

 「絵」については、だいぶだいぶ以前になるが、日本経済新聞の日曜版にカラーでゴヤの婦人画が載っていた。新聞でのカラー印刷の先駆けか?

 日本にゴヤの「着衣のマハ」や「裸のマハ」が来たときにも、上野に観に行った。

 TV映画での、ゴヤも観た。このときは、「マハ」をテーマとしていて、今回の映画では、「マハ」は、ちょうど抜け落ちている。別の視点という訳であろう。

 手の描き方について、上述の日本経済新聞にも書いてあったはずだが、ゴヤは手の描き方が下手である。それが、何故かということであるが、手の描き方で、料金を変えていたという話も、聞いたことがある。

 宗教画から宮廷画へ、宮廷画から今の芸術への変遷・混在期が、分かる。ゴヤはオールラウンドプレーヤーなのである。今の芸術といってしまったが、社会性を帯びたものと、芸術性を帯びたものとの両方にわたって、ゴヤの作品がある。食べるために宗教画・宮廷画を描き、あとは描きたいものを描く。社会が変動期であることが、逆に絵画まで規制の対象とならない時期を生んだのか?

 美とエロスとの違いは、画家にとっては、重要なテーマの一つであるはずなのに、作中では、あえて議論めいたことはしない。

 原題の「GOYA'S Ghosts」は、13人では不吉であるからとして、「カルロス4世の家族」に14人目の人物として、自画像を描きこんだことに由来する(?)。

 その頃、日本は江戸時代で、社会的安定期。自由(勝手気まま)に描くことすらできない?

 一方、スペインが世界にアピールできるゴヤ、ゴヤ以降のことも多いはず。

 「技術的背景」については、絵画そのものの技法、エッチング技術が完成されていた時期ということと、それよりなにより、魔女裁判が、印刷技術により、同じ内容の誤った本が大量に出版されたことを背景としている。

 「歴史」について、この時代の変動は、欧米では誰でも知っている話(?)。その変動に翻弄される一人の少女。ゴヤは、エンディングで少女の後を付き添いながら、埋葬地へと向かう。最後の画面に、映し出されるゴヤは、正しく「Ghost」。原題では、「Ghost」が複数形となっている意味がここに表されているのか(?)。

 アメリカのフランス批判(フランス革命は自国だけ)、イギリス批判(他人の利益を掠め取る)、スペイン批判(遅れている)も、織り込まれている。

 とにかく、説明的でないのがよい。

 そして、映画自体の評価がある。

 つまり、誰でも知っている「絵」「技術的背景」「歴史」をどう組み合わせて、ストーリーをどうもっていったか?

 ゴヤがその生涯を描いていきたかったに違いない、少女をクローズアップしたこと。その少女をナタリー・ポートマンが演じていること。この2つが成功している作品といえる。

 ただ、予告編の描き方が下手である。日本では、バックグラウンドが少ないので、ゴヤに興味のない、事前知識のない人が予告編を見た場合、誤解しそうである。

 ゴヤの絵は、エンドロールでも続き、客が立つことがなかった。

 客層が50~60代の夫婦が、目立ったが、20代のデート用でもよい内容。事前に薀蓄を溜め込むことも可能?ゴヤの絵が好きだと、見たことがある絵だらけなので、かなりよいことがわかるはず。

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野球を見なくなったわけ

 小さいときからの楽しみは、テレビでの野球観戦であった。

 いつからかと、詳しく言うと、私の年齢が2歳の幅で特定されるので、見始めは、ここでは省略するが…

 巨人、長島(嶋)、王…

 何千試合見たのだろう?

 2000.05.06までは、時間があると見ていた。

 2000.05.06というと、ご存知、橘高淳(きったか あつし)審判への暴行事件があった日である。橘高審判のストライクとの判定に怒った中日立浪和義が、橘高審判にぶつかる?中日の監督星野仙一が、ベンチから飛び出し、審判員を小突く?中日選手が審判員を取り囲む。中でも、中日大西崇之選手が、審判員を殴って、審判は右肋骨を2本?骨折した。(ナゴヤドームでの中ー横戦)

 そもそも審判のストライク・ボールの判定に、選手が集団で取り囲んで、暴行する。それって、スポーツですか?

 審判の「判定の善悪」と、「判定の権威」とは違う。

 「判定の権威」に対しては、社団法人日本野球機構は、毅然として審判を支持しなければならなかったのに、それを行なわなかった。それも、テレビ中継中の行為なのに、公然と審判の権威を落としている。

 「判定の善悪」については、審判員全体の質を高める措置をとればよい。

 その年は、巨人ー中日戦は、見なかった。

 翌年は、今度は、別のチームが、審判員にいちゃもんをつけていた。

 そういうことですか。

 翌々年からは、全く野球を見なくなった。

 

 (同様の取り囲み事件は、1997.06.05の横ー中戦のディミュロ審判の判定でも起こっている。)

〔問題点〕

①橘高さんが、刑事告訴しなかったのは何故か?

②社団法人日本野球機構が、刑事告訴を支援しなかったのか?

③傷害罪に対して、不起訴処分となった、上記3名のその後は?

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ガードレール

 少し古い話題ですが、ガードレールに切り裂かれたプレートが、刺さっているのは、誰かがわざといたずらしているのか?という話題がもちあがっていた。

 その原因は、事故車の残骸でした、というものでしたが、これはだいぶ以前TVで、触れられた話題でした。

 それは、米国で(多分米国で)、電柱は事故のとき何故倒れないのか、という話題のときに、触れられた。

 まず、電柱が1列あったとすると、連続する3本のうち真ん中の1本の根本に、車が衝突して、折れたとする。どうなるか?

 真ん中の1本は、倒れながらも、両脇の2本に支えられて、電線が切れることなく、電線としての機能は維持されるという。(私は、確かめたことがない。)

 そのとき、何故ガードレールにしないのですか?という問いに、事故後の対応が面倒というのが挙げられたように記憶する。

 そもそも、ガードレールを設置するときに、事故のときどうなるか事前調査されるべき話題ですが…

 TV番組のアーカイブスがあれば、一発で解決することでもあります。

 

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