ゴヤの絵画は好きである。たまらず、映画を観に行ってしまった。久しぶりの映画である。
ゴヤを扱う映画をひも解くキーワードは「絵」「技術的背景」「歴史」の3つである。
「絵」については、だいぶだいぶ以前になるが、日本経済新聞の日曜版にカラーでゴヤの婦人画が載っていた。新聞でのカラー印刷の先駆けか?
日本にゴヤの「着衣のマハ」や「裸のマハ」が来たときにも、上野に観に行った。
TV映画での、ゴヤも観た。このときは、「マハ」をテーマとしていて、今回の映画では、「マハ」は、ちょうど抜け落ちている。別の視点という訳であろう。
手の描き方について、上述の日本経済新聞にも書いてあったはずだが、ゴヤは手の描き方が下手である。それが、何故かということであるが、手の描き方で、料金を変えていたという話も、聞いたことがある。
宗教画から宮廷画へ、宮廷画から今の芸術への変遷・混在期が、分かる。ゴヤはオールラウンドプレーヤーなのである。今の芸術といってしまったが、社会性を帯びたものと、芸術性を帯びたものとの両方にわたって、ゴヤの作品がある。食べるために宗教画・宮廷画を描き、あとは描きたいものを描く。社会が変動期であることが、逆に絵画まで規制の対象とならない時期を生んだのか?
美とエロスとの違いは、画家にとっては、重要なテーマの一つであるはずなのに、作中では、あえて議論めいたことはしない。
原題の「GOYA'S Ghosts」は、13人では不吉であるからとして、「カルロス4世の家族」に14人目の人物として、自画像を描きこんだことに由来する(?)。
その頃、日本は江戸時代で、社会的安定期。自由(勝手気まま)に描くことすらできない?
一方、スペインが世界にアピールできるゴヤ、ゴヤ以降のことも多いはず。
「技術的背景」については、絵画そのものの技法、エッチング技術が完成されていた時期ということと、それよりなにより、魔女裁判が、印刷技術により、同じ内容の誤った本が大量に出版されたことを背景としている。
「歴史」について、この時代の変動は、欧米では誰でも知っている話(?)。その変動に翻弄される一人の少女。ゴヤは、エンディングで少女の後を付き添いながら、埋葬地へと向かう。最後の画面に、映し出されるゴヤは、正しく「Ghost」。原題では、「Ghost」が複数形となっている意味がここに表されているのか(?)。
アメリカのフランス批判(フランス革命は自国だけ)、イギリス批判(他人の利益を掠め取る)、スペイン批判(遅れている)も、織り込まれている。
とにかく、説明的でないのがよい。
そして、映画自体の評価がある。
つまり、誰でも知っている「絵」「技術的背景」「歴史」をどう組み合わせて、ストーリーをどうもっていったか?
ゴヤがその生涯を描いていきたかったに違いない、少女をクローズアップしたこと。その少女をナタリー・ポートマンが演じていること。この2つが成功している作品といえる。
ただ、予告編の描き方が下手である。日本では、バックグラウンドが少ないので、ゴヤに興味のない、事前知識のない人が予告編を見た場合、誤解しそうである。
ゴヤの絵は、エンドロールでも続き、客が立つことがなかった。
客層が50~60代の夫婦が、目立ったが、20代のデート用でもよい内容。事前に薀蓄を溜め込むことも可能?ゴヤの絵が好きだと、見たことがある絵だらけなので、かなりよいことがわかるはず。
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